今夜のおれ、栞の修繕係になったっす! 始まりは、螺旋階段から最後の足音が届いて、入口のベルが一度だけ鳴ったころ。お客様を青いベルベットの読書椅子へご案内したら、開きかけの本から細い紐がするっと落ちたんすよ。床の木目に沿って伸びた紐は、ちょっと休憩中の毛虫みたいで、おれは危うく「先客っす!」って声を上げるところだったっす。拾ってお渡しすると、お客様の手には黄土色の紙の栞。上の穴だけがぽつんと空いていて、長く使っているらしい角は、四つとも丸くなってたっす。お客様は紐と栞を交互に見て、「とうとう、ほどけちゃった」と小さく笑ったんす。
それを聞いたおれ、胸ポケットから栞をずらっと並べたっす。赤、空色、深緑、それから夕焼けみたいなオレンジ。「交代要員なら、こんなにいるっすよ!」って。ところがお客様は、色を一つずつ見てくれたあと、元の栞を本の上へそっと戻したんす。「ありがとう。でも、できればこの子に、もう少し働いてほしくて」。その言い方で、おれの手が止まったっす。新しいほうが使いやすいだろうって、勝手に次の話へ進めちゃってたんすね。慌てて並べた栞を回収したら、一本だけベストのポケットに入らなくてぴょんと跳ねたっす。お客様がそれを受け止めてくれて、今度は二人でちょっと笑ったっす。
栞は、ずっと前に初めて分厚い冒険小説を読み切ったとき、自分で紙を切って作ったものだそうっす。絵も文字もなくて、片隅に小さな折れ目が一つ。「途中でやめそうになるたび、ここまで来たんだなって思えるの」。おれ、思わず椅子の横にしゃがんだっす。どんな冒険だったのか聞いたら、海の地図を作る見習いが、まだ名前のない島を探す話だって! 好きな場面を尋ねかけたところで、お客様が今読んでいる本も、その続きだと気づいたっす。表紙の隅に同じ形の小舟があって、上巻より少し帆が大きいんすよ。おれの胸までむくむく膨らんできたっす。「それなら、船の整備をしてから出航っすね!」
まずは律さんに相談して、カウンターの端に乾いた作業場所を空けてもらったっす。お客様にもそこへ移っていただいて、飲み物は本と反対側へ。真鍮のランプを寄せると、栞の表面に細かな紙の繊維が見えたっす。元の紐は切れてはいないけど、結び目だったところが細く擦れていて、もう一度強く結ぶのは心配だったんすよ。律さんが包装用の細いリボンを数本持ってきてくれたので、お客様に色を選んでもらったっす。選ばれたのは深緑。「夜の海みたいだから」って。おれのタイとおそろいだと言うより先に、その海を想像したっす。灯りの下で少しつやの出る緑は、たしかに波の背中みたいだったっす。
ここからが腕の見せどころ、のはずだったんすけど。一回目、おれの作った結び目は立派すぎたっす。ぐっと引いて丈夫にしたら、栞の頭に小さな団子が乗っちゃったんすよ。本の上へ置いてみると、どうにもごろごろする。お客様は笑いをこらえて肩を揺らしてるし、律さんは眼鏡の奥から「巡君、本を閉じたところまで考えましょう」と一言。うう、整備係、出航前から座礁っす。でも、リボンを無理に引っ張る前に、穴のところを指で支えられたのはよかったっす。ほどくときはお客様が栞を押さえてくれて、おれは爪の先で輪をゆっくり広げたっす。張り切りすぎた団子が、ちゃんと一本のリボンへ戻ったときはほっとしたっす。
二回目は、短く切った見本のリボンで先に練習したっす。穴へ通す輪を小さくして、端をくぐらせたあと、重なったところを平らに整えるんす。作業のあいだ、お客様は例の見習いの話を少しだけしてくれたっす。嵐を越える場面より、出発前に船底の水をみんなでかき出す場面が好きなんだとか。おれだったら真っ先に宝の島へ目を向けるのに、そんなところを覚えてるの、いいなって思ったっす。「水を出しながら、昨日のスープの話をするのよ」と聞いて、もう読みたくてたまらなくなったっす! つい声が弾むと、律さんの指が唇の前へ。おれも口を閉じて大きくうなずいたら、お客様まで同じようにうなずいてくれたっす。
いよいよ本番。黄土色の栞に深緑の細いリボンを通して、根元を平らにならしたっす。左手で紙を支え、右手で少しずつ引く。さっきまで簡単に見えていた小さな穴から、目が離せなかったっす。お客様が端の長さを見て、「そのくらいが好き」と言ってくれたところで手を止めたっす。読んでいたページに挟んで本を閉じると、緑が背の上からちょこんと出たんすよ。もう一度開いても、紙はすんなりついてくる。引っかかりも、変な膨らみもなし。「整備完了っす!」って、今度は小声で報告したっす。お客様が指先でリボンを揺らしたら、真鍮のランプに細い影が踊って、おれはその影に向かって敬礼したくなったっす。
元の紐は捨てずに、小さな紙の包みに収めてお返ししたっす。お客様はそれを鞄の内側へしまってから、読書椅子に戻ったんすよ。しおりラテをそっと運ぶころには、もう一枚目のページがめくられてたっす。ステンドグラスの読書灯が、肘掛けの縁に赤と青の細い帯を落としていて、カップの湯気だけがそこをゆっくり横切ってたっす。さっきの冒険の続きを聞きたくて口を開きかけたけど、お客様の眉がきゅっと動いたので、いま船が大変なところなんだと分かったっす。おれはソーサーの位置を確かめて、静かに一歩下がったっす。カウンターまで戻る途中で笑い声が一つ聞こえて、無事だったらしい、と勝手に胸をなで下ろしたっす。
休憩に入ってから、おれは自分用のミルクセーキを作ったっす。今日はいつもより少しだけ丁寧に混ぜたから、最初の一口がふわっとして最高だったっす! 律さんに修繕の報告をすると、「今回は、きちんと希望を聞けましたね」って言ってもらえたんすよ。うれしくて背筋を伸ばしたら、胸の栞がまた一本飛び出しそうになったっす。慌てて押さえたおれを見て、律さんの口元がほんの少し動いたっす。それから棚で、あの地図作りの冒険小説の上巻を探したんす。表紙の小舟を見つけた瞬間、知り合いが増えたみたいだったっす。船底の水とスープの場面まで、近道せずに読んでいきたいっすね。今夜の感想の報告は、まず一章ぶんからっす。
お帰りのとき、お客様が閉じた本を少し持ち上げて見せてくれたっす。深緑の先っぽが、来たときよりずっと後ろのページから顔を出してたんすよ。「今日はいいところまで進んだわ」と聞いて、おれも「整備した甲斐があったっす!」って胸を張ったっす。ベルが鳴り終わってから、カウンターに残っていた練習用のリボンを片づけたっす。短い切れ端は、自分の栞につけるには足りなくて、作業箱へ戻したっす。また結び方を忘れたら、あれで練習するんす。閉店後、振り子時計の音を聞きながら、借りた上巻を開いたっす。最初のページには、まだ海が出てこない。それでも、今夜のおれは待ちきれずに飛ばしたりしないっす。胸からオレンジの栞を一本抜いて、机の端へ。次のページ、一緒にめくろっす!
